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死にゆくデータ

インターネットの成長とともに様々なデータが流通するようになった。

データは増加し続け、そして拡散され続ける。

しかしそんな中でも有用なデータは残り、不要なデータは忘れ去られていく。

それはまるでダーウィンの進化論のごとく。

データはまるで生物だ。

そう考えるとデータの死も考えてみたくなる。

いかに有用なデータであっても、あえて死をプログラムしておくのだ。

死を意識させて、初めてそのデータの重要性を意識させる。

そして次の新しいデータの糧とする。

死こそがデータに命を吹き込むのだ!

・・・

とかいう一般的な話だと面白くないな。
具体的に考えてみたい。

例えばニュートン力学がデータとしてあったとして、死がプログラムされているので100年後にそのデータは消える。
そうするとニュートン力学がネットから消える・・・それじゃだめか。

そうか、データが自然死する前に、有用であれば誰かが自分のHDにコピーするのだ・・・いや、それじゃいかんか。コピーしても死んでくれないと、データはひたすら生き残ってしまう。

では、これならどうだ。有用だからこそ誰かがそれを写経のごとく書き写す!
これなら意味は同じでもデータは異なるから問題なし。

まるで剣術の秘剣を弟子に伝えるかんじだ。
使い手は変わるが技は生きる。よいぞ。

よって、以下が死にゆくデータに必要な条件だ。
・データは何年後かに必ず自然死されるようプログラムされる。
・そのデータはコピーされてもやはり同じ時間に自然死する。
・データを残すには、写経のごとく書き写すのみ。

それにより生まれる効果は以下だ。
・死ぬことで、データに対して必要・不要を真剣に考える。
・不要なデータは自然になくなっていき、不要な時間やコストを使うこともなくなる。
・写経のごとく書き写す際に、再チェックや新たな解釈・知見を追加し続けられる。

人の社会に似ているな。

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